大正13年に中央通りが完成、その「中央通り竣工祝賀俄物巡業」が行われ、そのときに初めて北石堂町は御祭礼に参加。当時は石堂町北区という名で、屋台もない事から「大名行列」での参加でした。
その後、北石堂町で屋台作りが始まり、完成したのは昭和7年。
北石堂町の戦後復帰は昭和26年が始まりです。昭和33年から36年までは「長野夏まつり」に合流して実施。屋台は、昭和39年に大きく化粧直しをしました。現在の屋台には「彫り」が施されています。これは「登龍」、「降龍」というものです。屋台の彫り物だけ見ますと、後は屋台の胴回りに彫り物が施されれば、ほぼ完璧な屋台に成るそうです。